Q.他人と一緒に住む同居、二世帯住宅にすると
やはり設計は難しいのではないか。
A.夫婦も、そもそも他人同士です。
二世帯住宅など複数家庭が住む住宅の設計も
これまで何度もご相談があり、手がけてきました。
できるだけ密着して生活を共にしたい親世帯と
建物が一体でも生活ははっきり分けたい子世帯。
逆に、親世帯に家事を負担してほしそうな子世帯と、
気儘がいいけど介護も考えると同居か…という親世帯。
あるいは東京での仕事の頃の話ですが、
なにしろ土地が高いので、親子それぞれに別で
住宅を建てるより一軒にした方が割安だろうから
二世帯住宅にはするが、生活はそもそも別ですよ、
と割り切ったお宅もありました。
とにかく、他人と暮らすのはいろいろ大変です。
何がいろいろなのか、説明されないとわからない、
と思う人は最近ではほとんどいないのではないでしょうか。
なんらかのストレスを、みんな少しは抱えて生きています。
さらっと「他人と暮らすのは大変」と書きましたが、
ここに盲点があります。
けっこうな割合のひとが、“夫婦の関係”は、
(あるいはそこに子どもを足して“核家族の関係”は)
「他人同士とは違う」と思っている、という点です。
この場合の「他人同士とは違う」という思い込みは、
「家族同士は互いにわかりあっていて当然」
「自分は家族(パートナーや子ども)の望みは理解している」
という勘違いと、容易に結びつきます。
“思い込み”や“勘違い”と、あえて強い言葉にしましたが、
私は本心から、これは勘違いだと思っています。
『わかりあう努力をしないと家族関係は維持できない』ことを
きちんと理解するのが、家づくりで最も大事なことだと思うのです。
「努力なんてしなくても自然にわかり合えるのが家族だ」
という反論をする人に、これまでに何人も会いました。
ですが客観的に考えれば、たとえどんなに親子夫婦が仲良しでも、
すべての考え方がぴったり一致して一個もズレがない、
なんてあり得ません。
家をつくるときに考え、判断すべきことはどんなに少なくても
数百項目あるので、けっこうな割合で希望や意向はズレます。
ズレが見つかったときに、「誰が」「どこまで」譲るか。
それこそが家をつくるときのもっとも大きな障壁です。
特定の誰かが全面的に譲っているようでは、
“わかり合った”とは言いません。
好みも感覚も感性も、持病などの体の事情も、
人間はそれぞれに違います。
ある物事の受け取り方は本当に千差万別で、
深刻度や優先順位に合わせて譲る人と譲る程度を
変える必要があります。
じゃあどこを誰に合わせるの?ということを、
完全に事前に自然に把握できている家族など存在し得ない、
ということは、けっこう想像がつくのではないでしょうか。
私は、家をつくる際の基本として、まず最初に
「自分の生活100項目」を書いて頂いています。
思いつくままに、新しい生活への望みを100個、
書き出してもらうものです。
家族同士相談なしで、それぞれ書いて頂きます。
あれが欲しいこれが欲しい、と希望する物を書いたり、
雑誌などで知った建築用語は使わないように条件付けます。
どう暮らしたいか想像して書く、を徹底します。
すると家族それぞれが、自身の内面の発見や整理をして、
要望が合理的に、意味を持ったものになっていきます。
これはやってみないと実感できないので
ここで詳細な説明をしても意味がないのですが、
わかりやすい効果がもうひとつあります。
100項目を書き上げたら私が拝見して、質問などを
準備してからはじめてご夫婦同士、家族同士で
見てもらうのですが、これまで全ての家族、例外なく
「そんなこと思ってたの!?」「初めて知った!」
という感想が出るんです。間違いなく、全家族、です。
「自然にわかり合えて当然」の考え方が幻想だというのは、
こういう事実にも基づいています。
わかるはずがないんです、他人なんだから。
親から受け継いだ遺伝子も違うし、育ってきた環境も違う。
だから、先述したとおり、ひとつの物事の捉え方でも、
いかに親子夫婦とは言えまったく違ってくるのです。
『自分とは違う』ということをしっかり受け入れて、
どこが違うかを理解しようとすることは、
人間関係を構築するときの基本です。
家族間でも、それは例外ではないはずです。
複数世帯に限らず、夫婦や核家族で住む家だとしても、
自分とは違う感覚の“他人”と暮らすのだということを
肝に銘じるぐらいが、うまくいく家づくりの最初のコツ、
と言っても過言ではありません。