浮寝鳥

なにもせずにいる、ということがいつの間にか
出来なくなっている。
しなくなった、ではなくて、できない気がする。

高松の池には、今年もハクチョウが来ている。
キンクロハジロとマガモは、雄だけは見てわかる。

人慣れしているのか、餌をもらえると思うのか、
人間が近づいても全く逃げない。
水に浮いていても、道を歩いていても、
のんきである。

首を真後ろに向け、羽根に頭を埋めて
寝ているのもたくさんいる。
見ているこちらものんびりしてくる。

その浮寝鳥の姿を見ていて、何も考えずに
ぼーっとできなくなった、と連想した。

鳥は鳥で、人間とは別の思考を持つだろう。
外見ほどお気楽なはずはない、なにしろ
数千kmの距離を命がけで渡ってきたのだから。
鳥たちをぼーっとしていると見たのは、
鳥に対して失礼であった。

が、よく晴れた日差しの中で水に浮かぶ姿は、
やはり平和なものであった。

日々の中でふと時間が出来ると、仕事のことだとか
生活のことだとか、こまごまと身近なことを考えてしまう。
大人なんだから当然のことだが、
絶えることのない毎日の些事が、いまは憂鬱でもある。

東京にいたころ、ハゼを釣りに行くことがあった。
ハゼは群れをつくるので、釣れるときには大忙しになる。
なにしろ小一時間で100匹を超える釣果にもなり得るのである。

針に餌を掛け、群れの当たりに投げ入れて、
ちょいちょいと誘うと食いつく。
ぶるっとするようなアタリを感じたら引き上げ、
ぴちぴち動くハゼを握って素早く針から外し、
クーラーボックスへ投入。
また針に餌を掛けて以下同文。

これを30秒で1回転させて、ずっと繰り返す。
釣っている最中は罰ゲームのようである。
週明けからの仕事のことを思い出す暇などない。

これは慣れた人のケースで、そんな目にあったことは
一度もないが、30匹ほど釣れただけでも、
慌ただしさに夢中になって頭が空っぽになった。
たとえまったく釣れなくてもいいのである。
ほかの何事も考えず、ただアタリを逃すまいと
手の感覚だけに集中しつづける。
これが本当によいリフレッシュになった。

そういうことが絶えて久しい。
川を眺めるだけで時間を過ごせた頃が
ずいぶん遠く感じる。