終の棲家をつくりましょう【家のつくりかたコラム】vol.19

Q.よく考えないで建てた家に不満だらけ、
でもいまさら改修してももう遅いし…

A.何かを始めるのに“もう遅い”ということはありません。
今より早い瞬間はない、と言うじゃありませんか。

先日、事務所で雑談をしていった方がいて、
お話を聞きながら、昔聞いた似たような話を思い出しました。

30年ほど前に、ハウスメーカーで住宅を建てた。
ちょっと問い合わせをしたらどんどん話が進んで、
聞かれたことにだけ答えて、いきなり図面が出されて、
カタログやパンフレットに載ったものしか選択肢はなく、
打ち合わせのたびに決めなくちゃならないことがあり、
毎回その日のうちに答えを出させられ、
追い立てられるようにして打ち合わせをして疲れ果て、
気づいたら家が建っていた…
この30年、あちこちに不満があって後悔し続けている。
でももう60代後半、いまさら直しても無駄だ…

こういう話を聞いたのは、一度や二度ではありません。

家をつくるときには、まず自分と家族を見つめ直して
何が必要かをよく考えること、ということを、
このブログでも何度も書いていますし
直接ご相談を受けても必ずお話ししています。

建ててしまったものは仕方ないですし、
上記のような作りかたを押し進める業者には
何を言っても無駄なのでなにも言いませんが、
施主に対しては、「無駄なことなどありません!」と
声を大にして言いたいです。

「たとえ明日世界が滅ぶとも、今日私は林檎の木を植えるだろう」
16世紀の神学者、マルティン・ルターの言葉です。

人生の終わりがいつ、どんな形で訪れるのかは、
誰にもわかりません。
年齢を重ねるほど体調の変化を実感して、
未来に対して不安が増えるのはとてもよくわかります。
明日死ぬかもしれないのに改修なんか、と
おっしゃった方もいます。
でも、明日死ぬかもしれないのは
20代でも60代でも同じです。
若いうちは事故に遭わない、急病に罹らないと、
断言する根拠は何もありません。

そういう突発的な出来事がなければ、
人生が終わるまでに数年、10年、20年という時間が、
60代の方には残されているはずです。
それはまだまだ充分に長い時間だと私は思います。

毎日生活の不満を感じ続けてその期間を暮らすのと、
不満が解消されて快適に使える毎日を過ごすのでは
人生の終わり方も全く違うのではないでしょうか。

もちろん大がかりな改修は費用も大がかりになるので、
おいそれと決断できるものではないでしょう。
でも、いま不満を感じている部分、不具合のある部分を
不満の大きい順や緊急度順に改善していくことなら、
あまり大げさにしない範囲でできるかもしれません。
部分的な改修や補強、補修、あるいは家具の造作などで
問題が解決できる場合もあります。

人によって事情と状況が違うので一概には言えませんが、
握力の弱った一人暮らしのおばあさんの家に、
手をつきやすい高さに台のような手すりを設けたり、
立ち上がりやすい高さのベッドをしつらえたりと
体の状況に合わせた改装を施した結果、
介護の必要性が下がったこともありました。
毎日の生活が快適になることで、自分でできることも増え、
それがまた適度な負荷になってリハビリのような
効果をもたらすこともあるそうです。

以前のバリアフリーの記事でも書きましたが、
障壁(バリア)の状況や程度は人によって違います。
そして、バリアは障害や老化によってだけ生まれるとは限らない。

例えば、毎日料理や洗い物をする人の背丈に対して
キッチンが高すぎる、または低すぎる問題もよく聞きますが、
作る前によく考えていれば対処できたことで、
れっきとした“障壁(バリア)”です。
その作業を担当する人に我慢を強いている。

人によって千差万別の状況をよく確認して、
そこに合わせてつくるのが家づくりの基本です。
基本が出来ていない家に暮らしていても、
基本に立ち返って直すことはできます。

家のなかの自分が大事にしている場所を
使いやすいように、居心地の良いように、
できればちょっと美しく作り直すことで
改修前に迷っていたことがもったいなく思えるほど
毎日の生活の満足度が上がります。
これは何度も、小改修をしたお客様から伺ったことで、
どの方も大変実感がこもっていました。

設計事務所は突飛な建物を新築で作るのが仕事、
とお思いの方も多くて、先日お客様に
それを言ったら「そう思ってた~」と笑っておられましたが、
私は小さな改修も改装も手がけています。

迷っているなら、一人で抱え込まずにまず、
とにかく相談してみてください。
やっぱりやめた、となればそこで話は終わり、
無理にお引き留めはしません。
でも実行することになったら、完成したその後に
たぶん迷っていた時間を後悔することになりますから。