見積が予算を超えていく【家のつくりかたコラム】vol.12

Q.要望通りなのに見積が予算をオーバーしたのはなぜか。

A.足す一方の思考をすると、オーバーしてしまいます。

他の住宅会社などで家づくりをしている方から
こういうご相談を受けたことが何度もあります。

他社の内情までは、一円単位ではわからないので、
ご質問に対する答えも一般論になってしまいますが、
参考と思って読んでください。

第1回から書き続けていることですが、
住む人が自身の生活を見つめ直さないまま、
モノを選んでくっつけていく思考の家づくりは、
足し算なのだから金額も上がる一方です。
当然、予算をオーバーしがちになります。

普段の生活の、スーパーでの買い物を例に取ると
すぐにわかるはずです。
生きるために必要な栄養を摂るだけが
食事のすべてではありませんから、
個人の好みでお菓子やお酒などを買います。

もちろん、日々の生活に潤いを与えるのは大事ですが、
嗜好品が多すぎれば食費は膨れ上がり家計を圧迫します。
それが予算の範囲内なら我慢しようがしまいが
個人の自由ですが、財布の中身を超えていたら
買うことは出来ません。
そのとき減らすのはまず嗜好品からではありませんか?

家も同じです。
本当に必要かどうか、自分たちに合うかどうかが
一番大事なのに、現実に照らし合わせた検討を充分にせず、
ナントカというメーカーのナントカというキッチンが欲しい、
輸入のナントカいうブランドの家具が欲しい、
あれが欲しい、これも欲しい、夢だった、
憧れだったんだ、欲しいんだ…
そして、予算オーバー。当然の帰結です。

あるいは、ハウスメーカーやビルダーの家づくりの場合、
カタログの中から素敵なモノを順番に選んでいったら、
これはオプションです、それもオプションです…
オプション、オプション、オプションの嵐で予算オーバー。

このケースについては、施主に同情します。
商品化された住宅の基本仕様を見ると、設備でも建具でも
あまりにも安っぽすぎる、と思うことが多い。
そのままでは満足度も低いので、打合せの中で施主が
別の機器などを選びたくなる気持ちはわからなくはない。
そうやって素敵なほうの設備機器や建具を見れば、
びっくりするような価格が付いています。

商売なんだから当たり前、違法ではないし値付けは自由、
理屈はその通りですが、それにしてもあくどい。

でも、同情はするけれど、いずれにせよ考え方は
修正した方がいいと思います。

モノを次から次に選んで足していくのは、
“家づくり”ではなく“モノ選び”だ、ということです。

とはいえ、
「家についてきちんと考えれば必要な物はごく少なく、
清貧でミニマルな生活になるはずだ」
と言いたいのではないのです。
“何も持たない暮らしが理想”とは、私は思いません。
品質も使い勝手も耐久性も良く出来た、
つまり“デザインされた”品物なら、私だって
それが欲しい分野のものならたとえ高額でも欲しいと感じますし、
見ているだけでも気分が良くて好きです。
できるならそういうものに囲まれた生活がしたい。

ただ、まだ20年程度とはいえ住宅建築に関わって
事例も実例も何百と見てきた経験から言えば、
欲望や欲求の総量は常に予算を超えるものです。
予算の範囲できちんと収まるぶんだけの欲望を
ぴったり揃えて持っていた人など、ひとりもいません。
私自身も、望みはいつも、自分の手の届く範囲から
外へどんどん溢れています。

しかもその望みは、たいてい整理されていません。
いま持っている物と似たような新しい物、
現実には使わないけど雑誌で見て良さそうと思った物、
うらやましいと感じた他人の持ち物、
有名人がお薦めしていた物…
イメージだけが頭の中に増殖していく。

それは仕方ありません、欲とはそういうものでしょう。
本能ですから変えようがないと思います。

そういうものだからこそ、欲と真正面から向き合い、
よく考えて整理し、取捨選択することこそが、
家づくりにおいてなによりも最初にすべきことだ、
ということを繰り返し言っています。
そして、そのお手伝いを出来るのは設計事務所だ、
ということも、繰り返し言っているのです。