巨人の肩

standing on the shoulders of giants.(巨人の肩の上に立つ)
という言い回しを知ったのは2000年、
イギリスのロックバンドOasisが
同名のアルバムを発表したときだった。

ノエル・ギャラガーらしくない世界観の言葉だと思って調べた。
アイザック・ニュートンが、友人の科学者ロバート・フックに
宛てた手紙の一節で有名になったメタファーだそうである。

「私が彼方を見渡せたのだとしたら、それは
ひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです。」

先人の発見、経験、無数の積み重ねの上に立っているからこそ、
いま自分たちがより多くのことを知識として理解し、
考察できているのだ、といったような意味でよく使われる。

科学には確かにそうした傾向が顕著に出るが、
本当は全ての仕事、人の営みが同じなのだろう。

 

 

スティーブン・ホーキング博士が亡くなった。
彼を知ったのも二〇〇〇年頃であったはずだ。
ベストセラーになった「ホーキング、宇宙を語る」を読んだ。
筋萎縮性側索硬化症という難病を知ったのもそのときだった。

手の届かない彼方の宇宙についてたくさんの理論を生み、
それを素人向けに平明に説明することにも
大きな才能を持っていた科学者で、難病の進行に抗い、
当時の常識的な余命を超えて研究を続けた。

その点だけを抜き出せば美談にされがちな生き方だろうが、
気に入らないヤツの足を電動車椅子で轢くのを
ストレス解消の手段にする突飛なところもあった。
そのことを記者に聞かれると
「根も葉もない噂だ、そんなこと言うヤツは全員、足を轢いてやる!」
と応えるユーモアも持ち合わせていたという。
聖人君子にはほど遠く、実に人間くさく思える。

面識もない私が、彼の人柄を評する資格はないしそのつもりもない。

ただ私にとって彼は、
裕福な生まれでなくても、大きな病を背負ったとしても、
「知」ひとつ、知識と知性だけを翼にして、
人は高く飛べるのだということを示し続けた人である。

彼もまた、巨人だった。

ウェストミンスターに眠ることになった彼は、
ニュートンと、ダーウィンと、マクスウェルと、
どんな話をするのだろう。

ホーキング博士の命日である三月十四日は、
アルバート・アインシュタインの誕生日であり、円周率の日でもある。